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資料の表紙づくりにこそ
多くの時間を費やすべき理由とは?

せっかく作った資料なのに読んでもらえない理由とは?

江戸時代の人の1年分どころではない情報が氾濫

現代が情報過多であることを表現するために用いられる常套句として「現代人の一日の情報量は江戸時代の人の一年分。平安時代の人の一生分」というものがあります。

これは遅くとも2008年頃から使われているフレーズですので、2024年時点で少なくとも16年以上は経過していることになります。

初代iPhoneが発売されたのが2007年ですので、その頃と比較しても私たちを取り巻く情報が飛躍的に増えていることは間違いありません。

現時点で江戸時代の人がどうのこうのというレベルではないほど情報が氾濫しているにも関わらず、総務省の調査によると2030年には30倍、2050年には4000倍に達すると予測されています。

そうなってしまったら原始時代の環境を生きるために最適化されている私たちの身体(脳機能)だけでは、もはやどうやっても処理することができません。

AIにどうにかしてもらうしかないな

誰もが「できるだけ資料は見たくない」と思っている

これだけ情報が氾濫している世の中で「資料をつくる」ということは供給過剰の状況下に、あえて新たなコンテンツをつくって送り出すということを意味しています。

ビジネスにおいて資料はクライアントも含め社長や部長などの管理者宛に提出することが多いかと思います。

学校法人産業能率大学総合研究所の調査によると「管理職の96.9%がプレイヤーとしての業務を兼務している」とのこと。

プレイングマネージャーの割合

多くの管理者はマネジメント業務をこなししつつ、自分の仕事も同時に行っている多忙な状態にあるということになります。

また、管理者に限らず現代人はとにかく忙しく、自分の見るべきコンテンツですら処理しきれない状態になっています。

つまり、

できるだけ資料を見たくないと思っている人に向けて資料を作ろうとしている

資料をつくる際はこの認識をあらかじめ持つことが重要となります。

表紙づくりをテキトーに済ませていないか?

「たくさんの情報の中から選ばれる」という名のハードルと「できるだけ資料を見たくない」という名のハードル。

このの2つのハードルを越える役割を担うのが「表紙」です。

表紙の出来不出来によって、ページをめくってもらえるかどうかが左右されます。

それにも関わらず、資料の中身を作ることに精一杯で、表紙がおざなりにされることが非常に多いです。

たしかに最後にさらっと作って済ませることが多いかも

表紙は中身ができあがったら体裁をそれっぽく整えて終わりというものではありません。

表紙がどれほど重要かといえば、例えば本のタイトルは著者が決めるのではなく、編集者や営業スタッフが集まる『タイトル会議』によって決められる場合が多いです。

タイトルによって手に取ってもらえるかどうかが決まり売上に直結するからです。

このことからも分かるように本当に資料の内容を伝えたいのであれば、表紙づくりにこそ多くの時間を費やすべきです。

表紙だけしか見られないつもりで資料をつくる

どんな資料でも表紙だけは必ず見てもらうことができます。

なぜなら、そうしなければ自分にとって必要な資料かどうかが判断できないからです。

もしそれすらしてもらえないということは
資料の問題ではなく段取りに問題があるということだな

その通りです。

事前にアポイントを取るなどして提出を約束していれば、少なくとも表紙だけは見てもらえるはずです。

表紙だけは。

管理者はとにかく多忙であるということを先述しましたが、その中でも特に決裁権を持つ人たちは、日々さまざま資料に目を通すことを強いられています。

したがって、資料を作成する際は自分の資料が他の資料の中からまず選ばれる必要があるということを念頭に置くことが重要です。

それにも関わらず、多くの人は他者の状況を考慮せず「自分と自分のつくる資料」という閉じた視点で資料作成を行う傾向があります。

だから表紙がおざなりにされるのね

まして上司やクライアントから依頼されてつくった資料ならば、詳細に見られて当然と考えている場合もあります。

しかし、その考えは現実とは大きく異なります。

その証拠に、提出した資料に記載されている内容を上司やクライアントから、さも無かったかのように質問をされた経験がある人も多いのではないでしょうか?

あるな。それ前に説明したじゃんってやつ

このように苦労してつくった資料のほとんどは読まれないことを前提にすること、また状況によっては表紙だけしか見られない可能性も高いということを念頭に資料作成を行う必要があります。

そもそも資料はどのように読まれるのか?

決裁権者などの管理者は資料を見ない可能性が高いという説明をさせていただきましたが、これは管理者だけの傾向ではありません。

例えば、多くの人はネット記事などをタイトルだけを見て、クリックするかどうかを決めていると思います。

これはつまり、タイトルだけを見て「記事という資料」を取捨選択していることを意味します。

Yahoo!トップのトピックでいえば、約15文字の情報だけでクリックするかどうかを無意識的に判断していることになります。

ここで、そもそも資料はどのような経緯を辿ってインプットされているかを整理したいと思います。

資料のインプットは次の4段階モデルで行われます。

インプットにおける4段階モデル

第1段階の「ぱっと見」は、無意識レベルで自分に必要かどうか判断する段階。

第2段階の「流し見」は、資料をパラパラめくって気になるところを見つける段階。

第3段階の「拾い読み」は、流し見で気になった部分の文章を読んでみる段階。

第4段階「通読」は、拾い読みするポイントが多い場合に資料全体にひととおり目を通す段階。

5段階目に「精読(細かいところまで、ていねいに読むこと)」を設定することも可能ですが、そこまで至る資料は一言一句で意味が変わる契約書など特殊な場合に限られます。

そのため、一般的な資料に限っていえば4段階としておけば問題ないかと思います。

普段は意識してないけどたしかにこんな感じで資料に接しているかも

このモデルのポイントは、「ファネル構造」になっていることです。

インプットにおける4段階モデル(ファネル構造

つまり、各段階で資料を見る人の興味を喚起できなければその時点で離脱(資料を見るのを止める)が生じるということです。

このことから、「表紙だけしか見られないかも」「各スライドのタイトルだけしか読まれないかも」などと想定しながら資料をつくることが重要となります。

当然ながらこの記事も例外ではありません。

このページにアクセスしてきた人たちの一部にしか、この文章は読まれないことを想定してつくられています。

表紙がダメなら中身がどんなに良くてもNGってことだな

「根回し」こそ最も優れた表紙

ここまで資料を見てもらうために表紙がいかに重要であるかというお話をさせていただきましたが、根回しに勝る表紙はありません。

根回しというと薄暗い印象がありますが、「段取り」という言葉に置き換えればどなたでも多かれ少なかれ普段から行っているのではないでしょうか。

例えば、

・デシジョンメーカーにだけは事前に話しをつけておく

・会議の前に仲間を増やしておく

・事前にメールで情報提供をしておく

・ステークホルダーの情報収集

などです。

調略は戦いの基本だな

場合によっては「資料を提出する以前に話しが決まっている」ということさえもありえます。

資料の内容を本当に伝えたいのであれば、適切な段取り経て資料を提出する必要があります。

そうしなければ、あふれる情報の中に苦労してつくった資料がただ埋もれるだけになってしまいます。