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AI時代のパワポ資料作成術
|AI任せの資料が使えない理由とは?

まだAI任せで資料を作成しようとしているの?

AI任せの資料を必要とする人はいない


AIが一瞬で綺麗なスライドや文章をつくれるようになった今、情報を右から左へコピーして清書するような作業の価値はゼロになりました。

前はそれだけで仕事が成立したのに

人がわざわざコストをかけてつくるこれからの資料は、AIに任せていてもできないからつくるという前提条件が必要となります。

AI以上のアウトプットを生み出せないのであれば、人が関わった分だけ無駄が生じることになります。

資料を見る人が求めているのは、それをつくった人の考え方です。

つくった人の考えが反映されていないAI任せの資料を必要とする人はいません。

ポチッとするだけで一瞬で生成される最大公約数的な答えが必要なら、わざわざコミュニケーションコストを払って人に依頼する必要がないからです。

自分で調べれば済むってことだな

客観的な事実を伝える資料ならAI任せでも良い?

報告書とか事実だけ記載するならAI任せで良くない?

たしかにその通りです。

ただそれ、人の手を介してわざわざ資料にする必要があるでしょうか。

これまで多くの組織では、管理画面(ダッシュボード)にある数字を、わざわざExcelやPowerPointにコピペして報告書をつくるという謎のルーティンワークが存在しました。

客観的な事実(売上、PV数、進捗率 など)を知りたいだけなら、システムを直接見に行くか、AIに「今週の数字を要約してメールしておいて」などと頼めば1秒で終わります。

そこに人間が介在して、資料化する意味はゼロです。

それができない人のために紙の資料にする必要があるけどね

社内介護だな

たしかにそういった側面があるのは事実ですが、間違いなくいえるのはそういった仕事は、AIに奪われる仕事の典型例といえます。

なぜなら、テキストで指示を出すだけで様々なタスクをこなすエージェント機能の進化が凄まじく、近い将来多くの人がAIを思い通りに扱えるようになるからです。

お歴々が自立していくわけね

これからの資料づくりに求められるのは、客観的事実をいかに解釈して、次の行動にどうつなげていくかという主観的価値判断に翻訳していくことです。

主観的価値判断に翻訳?

つまり、「私はこう考える」と主張することです。

黒字企業がどんどんリストラを行っている事実からも明らかなように、客観的な事実をまとめただけの資料を求める人も、そしてそれに応じる人も、将来的に淘汰される可能性が極めて高いといえます。

ぱっと見のAI感が資料への興味を失わせる

心理学者ジャスティン・クルーガーなどが提唱した「努力のヒューリスティック」という概念があります。

これはモノや成果物の価値を正しく判断できないとき、「それに費やされた労力や時間の長さ」を価値として無意識に見積もってしまう認知バイアスのことです。

よく分からないからそれをつくったコストに
注目するってことだな

その通りです。

人間は結果そのものだけでなく、その裏側にある費やされたコストに対しても価値を感じると言い換えることもできます。

資料に置き換えれば、頑張ってつくったように見える資料はそれだけで一定の評価を得られる可能性が高まるということになります。

この概念のポイントはバイアスであり本能的であることです。

つまり人なら誰でも持っている性質で、避けることが難しい衝動であるといえます。

直感的に感じるってことね

仮にAIでつくったことがぱっと見で分かる資料だと、それを見る人は「手抜き」と判断し、よく見て精査することを躊躇います。

これは資料を見る自分だけが「読解」というコストを支払うことへの不公平さを本能的に感じとり、脳がシャットダウンすることによって起こります。

たしかにAI丸投げの提案書なんて見る気しねーな

コミュニケーションの基本は等価交換です。

現代の忙しいビジネスパーソンに、時間や労力をかけて資料をみてもらう以上、それ相応の価値を提供する必要があります。

デザインこそ手作りする必要がある

ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは、思考には「システム1」と「システム2」があると言いました。

システム1はいわば直感的な自動思考で、システム2は熟考的な論理思考です。

そして脳は非常にコスパが悪い臓器なので、できるだけ楽をするようにできています。

私たちは日常的な意思決定のほとんどを、省エネモードである「システム1」に頼っています。

システム1の段階で「自分には関係がない」「興味が無い」と判断されてしまうと、システム2に移行することはありません。

いちいち詳細に吟味してたらキリねーからな

資料においてこのシステム1のハードルを越える役割を担うもののひとつにデザインがあります。

そんな重要な資料のデザインにAIでつくった感が滲み出てしまうと、どんなに内容が良いものであったとしてもシステム1によって弾かれてしまいます。

AIでつくった=楽してつくった=見る価値なしってことだね

要するにデザインは資料の信用に直結するということです。

仮に資料内の文章がすべてAIで生成したものであっても、よく読み込まなければそれを判断することはできませんので、ある程度は読んでもらえるかもしれません。

しかし、デザインは違います。

ぱっと見で判断することができます。

だからこそ、デザインに手作り感を残すことが重要になります。

苦手なデザインをAIにやってもらうといえば聞こえが良いですが、それが原因で見てもらえなくなるのであれば意味がありません。

これらのことから、資料のデザインこそAI任せにするのではなく自分らしさを表現すべきということになります。

資料に手間をかけるほど説得力が増す

努力のヒューリスティックのところでもお伝えしたとおり手間がかかっているように見える資料は、それだけで一定の評価を得ることができます。

AIで簡単につくれる時代だからなおさらかもな

また、つくる人にとっても資料に手間をかけることは説得力を生むための重要な要素となります。

それを裏付ける証拠として「イケア効果」という概念があります。

これは、自分がコストを投入してつくったものに対して、客観的な価値以上の高い評価を下すという認知バイアスです。

イケアは購入者が自分で組み立てる家具メーカーの「IKEA」からきています。

苦労してつくったものには愛着がわくからね

資料においてはその愛着が「こだわり」を生みます。

いうまでもなく、こだわりを持って説明する人とそうでない人とを比較した場合、どちらに説得力が生まれるかは明らかです。

資料を見る人からすれば、作成者がこだわりを感じるほどコストをかけたことが分かれば、理解しようとするモチベーションも高まります。

一瞬でできあがる資料からはどちらも生まれません。

本当に伝えたいことがあるならば、相手のためにも自分のためにも手間を惜しむべきではないということになります。

人はAIと同じようには進化しない

結局AIに頼るなってことね

そうは言ってません。

むしろガンガン使った方がいいです。

これまでお伝えしたきたのは、あくまで「AI任せ」にすることのリスクです。

AIで資料作成を行えば一瞬でファクトチェックまで完了する的な話が流布していますが、技術がどんなに進化しても、人の本能が同じスピードでアップデートすることはないということです。

仮に理屈は理解できたとしても
感情がついていかないよね

どんなにAIを用いて効率化してもAIは意思決定までは行わないので、最後は人に納得して決めてもらわなければ何も始まりません。

そして、人に納得してもらうためにはそれ相応の手間をかけることで感情に働きかける必要があるということです。

資料作成においてはAIで効率化して終わりとするのではなく、効率化して生まれた時間を再投資して、より自分らしい資料を作成することにこだわるべきということになります。

具体的にどのように作成すれば良いのか?

で、具体的にどうすれば?

作成過程をAIに任せるのではなく自分でコントロールをすることです。

AI任せにしてしまうと目の前の資料がどのようにして生まれたのかがブラックボックス化してしまいプロセスを追跡できません。

プロセスが分からなければ自分の考えを反映させることが難しくなるとともに、説明も困難になります。

ブラックボックスだと手のつけようがないから

そのとおりです。

そうなってくると、まるでガチャを引くようにひたすら自分の気に入る資料ができるまで、ゼロベースで生成を繰り返すことになってしまいます。

せっかく効率化しようとしているのに余計無駄になってる

そのような無駄を省くためにも、アウトプットに至るプロセスを自分でコントロールする必要があります。

その具体的な方法については下記の記事で紹介しているのでご確認ください。

作成過程を自分でコントロールしつつ、AIを使って補う。

これがAI時代に必要とされるパワーポイント資料作成術ということになります。